ヘラルド(The Herald)特集:ハープを男性奏者のもとに取り戻す

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ハープを男性奏者のもとに取り戻す
マイケル・ルーニー自身は、ハープ奏者になるとは夢にも思いませんでした。10歳までに、モナハン州出身のルーニーは、ティン・ホイッスル、フィドル、ピアノ、コンサーティーナの演奏に優れていました。彼は他の楽器に注意を払う必要はありませんでした。しかし、彼の父親には考えがあり、ルーニーはいたずらっぽく、賄賂と買収にまつわる話をしました。

「私の妹はその時4歳でした」とルーニーは言います。「父は妹にハープを弾かせたかったのです。それで父は、私が妹と一緒にハープのレッスンに行って、彼女の練習に付き合ったら、私に毎日10ペンスをくれることを約束しました。」

この子育ての最終結果、ルーニー自身がハープを好きになり、彼は妹をすぐに追い越し、とても熟達したけれども、妹と協力して演奏を学んだのでした。彼は学校の全友人を含め誰にも言いませんでした。そして彼は他のことー ゲーリック・フットボール ーに夢中になり、スクールチームの選手に選ばれました。最後には彼のチームメートたちが、彼の音楽の功績に感動するであろうことを、ルーニーは確信していました。

ルーニーは言います。「ある意味面白いです。なぜなら
17世紀ハープがとても華やかだった時代、ハープ奏者はほぼ男性専業でした。主人に敬意を表して、音楽を作りながら国中を旅したハープ奏者、ターロック・オキャロランのような人を思い浮かべるでしょう。オキャロランはハープの歴史の中で最も偉大な人物の一人です。ハープが多かれ少なかれ廃れて間もなく、歌の伴奏と女性奏者たちと結び付けれれて復活しました。私は曲を弾くことにより関心がありました。」

10代の頃、ルーニーは、ハープとともにパブのセッションに参加した時、他の音楽家たちがたじろぐという感覚を覚えました。

ルーニーは言います。「あたかも他の音楽家たちが、私がダニー・ボーイか何かを演奏することを予想してたじろいでいるかのようでした。一度私が2、3のリールやホーンパイプスを演奏すると、音楽家たちはより受け入れてくれました。しかし、かなり長い間、唯一の男性のロールモデルはチーフタンズのデレク・ベルだけでした。ハープはまだ女性が従事するものとして広く認識されていました。」

1990年代クイーンズ大学ベルファストで、ルーニーは作曲に非常に興味を持ちました。彼はすでに伝統的なスタイルで曲を書いていました。一方、ハープの選手権に参加し優勝しました。彼はシニア・オールアイルランドのチャンピオンとなり、幾度も名門のグラナードとキーデューのハープのコンクールで優勝しました。

「私はメロディーを創ることを楽しみました。しかし、私を本当に魅了したことは、伝統とクラシック音楽の両方で訓練を受けた者として、楽器とスタイルの2つの側面を扱うことでした。」とルーニーは言います。「伝統音楽家は素晴らしい聴覚技能を持っている傾向にありますが、原則として、必ずしも優れた楽譜を初見で演奏する者ではありません。対して、クラッシク奏者たちは、全てを音符から解釈して演奏します。2つを合わせることは、問題もあるけれども、とても刺激的なことです。」

ルーニーの最初の長い曲《The Famine Suite》は、1997年初公演です。ルーニーは、壮大な空中ダンスのための音楽The Second Coming、2015年ウェールズ公チャールズとコーンウォール公爵夫人のスライゴへの公式訪問を祝賀するための曲を含む、大きな任務を受けました。《The Macalla Suite》は、イースター蜂起100周年を祝う曲です。

私たちが話していた時、ルーニーは《The Macalla Suite》の作曲に伴い、2017年度TG4 Gradam Ceoil- the Scots Trad Music Awardsと同等のアイルランドの賞-の作曲家賞を受賞したと知らされたところでした。しかし、彼は日中の仕事である学校の教頭をやめようとは思いませんでした。

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